Last Message

「僕は本当に、ヘアーカラーが大好きすぎる。」

ドキドキ、、ドキドキ、、
僕がブリーチをするたび、女の子たちは鏡に写る自分を見ては ドキドキしていた。
そして、そのキラキラした瞳には、僕の存在価値さえ見出せたのだった。

思い返しても僕の幼少期、 とりわけ、色に溢れていたわけでもなかったが
時代的にか時代背景的にか
髪の色が違う女の子の漫画やアニメに
強く興味を持っていたことはなんとなく覚えている。

ひょんな事から美容師になり、若い時はひたすらコンテストばかりに出場していた。
ウイッグカットやモデルカット、 フォトコンでは、
ブリーチしてカラーをする
ブリーチonカラースタイルをよく作っていたのだが、
当時の僕は そういうクリエイティブな作品とサロンワークとは別物と捉えていたみたいで
サロンワークでブリーチをすることはほとんどなかった。

今から10年前、当時、僕は若い子らとファッションショーを繰り返ししていた。
お洒落やファッションが好きな女の子たちはたくさんのコンプレックスを抱えていたし
何よりも、髪色は、外国人かお人形さんみたいになりたがっていた。
そんな女の子にブリーチメニューを提案して要望に応えていくと
僕の働く店にたくさん来てくれるようになった。

そんな時期を数ヶ月過ごすなかで僕はひとつの答えに辿りついた。
「ブリーチ専門店を作ろう」と。
そして、ブリーチ専門店をオープンさせた。

連日 朝から夜遅くまで女の子たちは押し寄せてきた。
あの時 ああすれば、、こうしたらよかったかな!?とか、たくさんの失敗もしたし、たくさんの発見もした。
そして、僕の中である種のルールだけが決まっていた。
「僕からの制限はあまりしないでおこう」、「日本人だから、とか黒髪だからと言い訳もなしで、」

日々の発見が確信に変わっていったとき、レベルがあがり、ブリーチの可能性がどんどん広がりを見せていった。
でも、本当に上手く綺麗なカラーができず、へこみまくる日々もたくさん過ごしてきたし
かと思えば、噓みたいに綺麗にカラーができすぎて「俺はもしかして神なのかも!?」と思う日々もたくさんあった。笑

そうこうしてるうちに月日は、あっという間に流れ、ブリーチ専門店はオープン5年目を迎えようとしていた。
当時の僕は、日本で最もブリーチしている美容師」だと思っていたし、そう自負していた。
だからこそブリーチカラーに関しては、日本で最も理解していなければならないと思っていたし、
そうありたいと願った。その努力はしていたし、その時間は費やしているはずだと。
そんな思いも重なってか、、ブリーチ専門店は大阪でしていたんだけど
僕は 5年が経つ頃 ある思いに大きく膨らんでいた。

「東京に出なきゃ。」

当時の僕にとって、ブリーチ専門店は僕の美容人生そのものだったし、本当に好きすぎて、
だからこそ、東京に出たいと思ったんだろうな。

そして僕はとうとうブリーチ専門店を閉め、東京に出る決意をした。

僕の中で 表参道 原宿は美容師の聖地。
顧客様もいない状況から、そこに出るのはだめだと思っていたので、まずは代官山に出て
お客様を少し増やしてから聖地に出ていこうと決めていた。

東京に出ても順調にお客様が増えていき、一年少しで聖地 原宿へと進出することができた。

東京に出たことは本当によかったと思っている。
そして、必然だったのか、偶然だったのか、今もわからないけど
この10年間 ブリーチ専門として活動してきたことを本当に誇りに感じているし
美容人生そのものをかけて追求できることに出会えて幸せこの上ない。

いまだにブリーチに関して、難しいこともたくさんあるけど
カラーやブリーチが楽しくて仕方ないし。 よく、デザインや色の配置について聞かれるけど
そこを入り口として入ることはほとんどなくて、世界観やテーマから入っていくから
デザインなどはとめどなく溢れてくるし、やっぱりゲストの喜んだ顔はいつまでだっても嬉しいし、、
もう、本当にブリーチやカラーについては使命感さえ感じさせてもらってて
特に2017年入ってからは心境の変化があったのか、、
僕とゲストだけの問題だけじゃなくて「継承 伝達 育成」
そして次世代へと繋がるカラーの研究や確立
なんてことも考えだしてるから,
今迄ぼくが培ってきたデーターや経験などをもとに誰かが笑顔になればいいな。

そして、そして、僕はやっぱり
ブリーチやブリーチカラーが好きすぎて、 そんな好きに囲まれていて幸せです。
それと、今や僕のサロンワークはクリエイティブだし、
ブリーチやブリーチカラーの未来は明るいし、楽しみでしかない。

最後に僕は本当にヘアーカラーが大好きすぎる。
2017年7月30日 神戸にて